防犯カメラから一歩踏み出した、顔識別ラベリング情報共有ネットワークのもたらす世界は不快だ

顔データの共有は第三者への無断提供。顔データが「犯行情報」や「クレーマー」といった属性と結合されると望まない人格像が形成され、プライバシー侵害の恐れがある。誤検知の場合は濡れ衣による不利益がある。誤設定による濡れ衣もあり得る。

これはテクノロジーが自警的な私刑に用いられる事例になるかもしれない。防犯カメラが判断を挟まない中立的なデータ取得だとするなら、このシステムは積極的に「犯人」を「検出」するものである。防犯カメラから一歩踏み込んだシステムと言える。しかも訪れたことのない店舗にまで情報が及ぶという。

店舗は基本的に窃盗に対し、私服警備員等が目視で現行犯を押さえることで対処してきた。防犯カメラはこれを事後的に裏付けるものであったり、撮影していることを公にすることによる抑止を期待するものだ。くだんのシステムも効果としては同様のものであって、システムが「検出」したからといって即捕まえられるものではない点に注意が必要だろう。あくまで現場を押さえなければならず、そのためにはこれまで通りの私服警備員等の配備が必要になる。つまりシステムによってアラートが上がったとしても、その来店者を張っていなければならないことには変わりない。このシステムは来店者を捕まえることよりも、「より高度な防犯カメラ」を提示することで犯行を抑止することを目指したものなのだろう。

とはいえこのシステムは「より高度な防犯カメラ」を目指してエスカレートするのではないか。例えば顔だけでなく振る舞いから「不審な行動」を識別するようになるかもしれない。風貌や身なりから憶測をしたり、独断と偏見で積極的に「犯人」をラベリングするようにもなるかもしれない。ラディカルな自警装置として加速していく様が思い浮かぶ。行き着く先はディストピアのように見える。データがネットの情報と結合した場合、ネット上での振る舞いまでスコアリングされ、「不審者」「予備軍」としてマーキングされることになるかもしれない。防犯カメラから顔識別への一歩はそれはそれで大きいものだが、そこからさらに加速されて行き着く先は、はっきり言って不快な世界だ。

犯行がないと捕まえられないという前提から抜け出せないこのシステムは、ある意味で残酷だとも言える。技術を用いるなら「技術的に罪を犯しようがないアーキテクチャ」を目指したいものだと思う。例えば極端な話、商品を持って店を出ると自動的に決済されるようなシステムがあれば、支払いを済まさずに持ち出すことができない以上、窃盗が成立しないことになる。前払いで入場するといったこともできるかもしれない。これはネット通販や自動販売機で実現されている機構でもある。

蛇足だが「顔認証」「防犯カメラ」の語の組み合わせに違和感がある。
認証はその対象の正当性を確認するのが通常だが、このユースケースだと犯罪者としての正当性(正確性?)を「認証」することになってしまう。「顔識別」ぐらいの表現が良いのではないか。