プログラミング教育(武雄市×DeNA×東洋大学)発表会の感想

武雄市は一部の小学校の一年生で、思考力育成の一つの方法としてプログラミング教育に取り組んでいる。togetter、報道等を見たところ以下のような状況だったようだ。

  • 操作が難しく 1 対 1 のサポートが必要で、20 人学級に対し教員 3 人、DeNA 社員 2 人、その他教育委員会を入れて 6 〜 7 人の体制が必要だった。
  • 指導は主に DeNA 社員が行い教員はサポートに回った。しかし社員は教員免許がないので正規の授業ではなく放課後にプログラミングを行った。
  • 試行錯誤に使える時間が少なかった。

まずは授業を受けた小学一年生を讃えたいと思う。慣れないタブレットを持ち前の吸収力で自分のものにしていったことは糧になると思う。大変なことだったかもしれないし、思うようにいかなかったこともあるかもしれない。今回の授業でプログラミングを楽しめたなら他にもいろいろな手法があることを調べ、あるいは教えてもらい、どんどん自分でやってみてほしいと思う。

象徴的なツイートを二つ:

武雄市Scratchを参考にゼロから開発した独自アプリではなく、Scratch(ScratchJr)そのものを使うべきだったのではないか。巨人の肩には素直に乗るべき。ScratchJr がプロジェクト開始当初になかったとしても、「すぐ修正」の武雄市が軌道修正できなかったはずはない。

武雄市は(武雄市xDeNAx東洋大学)ではなく(武雄市xMIT)を目指すべきだったと思うし、その際は阿部和広氏を招聘すべきだったのではないか。

松原氏は阿部氏を日本におけるScratchの第一人者と知らなかったから上記のような発言に至ったのではないか。知っていたら貴重な先達からの指摘を遮る理由はないだろう。プロジェクトをリード、評価する立場として適切だったか疑問が残る。

なおプログラミング教育に対する「評価」は「児童の反応」だそうで:

「プログラミングのじゅぎょうはたのしかったですか?」の質問に対して、出席した児童37人全員が「たのしかった」と回答。この結果について東洋大学 経済学部の松原聡教授は、「一人も落ちこぼれることなく授業についてこられた」と評価した。
小1へのプログラミング教育、佐賀県武雄市が成果報告 :日本経済新聞

「評価した」のだそうだ。「評価」とするにはあまりに牧歌的というかナイーブに過ぎると思う。きょうび市外から来た知らないオジさんに「楽しかったですか?」と聞かれて無難な答え以外を選ぶなんてことはしないだろう。小学生は賢いのだ。こういう時にどう答えるべきかは知っている。

武雄市長は今後について「未定」とコメントしているが、いくつかの理由が考えられる。

  • 引き続きプログラミングを授業として行うには人材が足りない。
    児童に対しプログラミングを教授する能力を持ち、かつ教員免許を持っているような人材を 1 クラスにつき 6 〜 7 名など簡単には用意できないだろう。
  • 二年生向けコンテンツがない。
    Scratchライクなアプリは作ったとしても今後も改善、メンテナンスが必要だし、二年生向けのコンテンツも作り込んでいかなければならない。教師との密なコミュニケーションが必要だったという振り返りもあり、今後も引き続き行うためには人的・金銭的に多大なリソースが必要となる。
  • そもそも公教育として低学年向けにプログラミングが必要だったのか検討が必要。
    「プログラミングのじゅぎょうはたのしかったですか?」だけで継続できるものではない。

例えば「タブレット」というのは特殊なデバイスだ。タブレットの上に見えている「オブジェクト」はリアルなそれと同じように見えても振る舞いは異なる。タブレットは基本的に「ひとつ触って、それを動かす」といった動作をする。まとめて手で払ったりできない。さらに対象をまず触っておかないと反応しない。指の腹でどかしたりできない。こうしたリアルとの違いを試行錯誤で理解することでタブレットのコンテキストを身につけていく必要がある。だけどこれはタブレットに慣れるために必要なことであって、プログラミングの以前の問題だ。限られた時間の中で行う授業のためのハードルとして低くはないと思う。

そもそもプログラミングを主とするなら、タブレットにこだわる必要はなく、レゴの教育用キットにも小学校低学年から使えるものもあるようだ。むしろレゴの方が昨今のIoTブームに乗っているとも言えるし、フィジカルな機構を理解するという面もありタブレットの二次元よりも創造性を刺激するとも言える。DeNAアプリと違ってレゴには汎用性があるといった利点もあって、「グローバルに飯を食える」という点ではより好都合でもある。

ところでDeNAの「ゲーム」というのはプログラミングの一部の領域であって、ゲームに通ずるような自由なプログラミングは創作の要素に偏りがちだと思う。プログラミングの醍醐味は問題解決にあり、「ゲームを楽しみたい」というのであればゲームをプログラムするのも良いと思うけれど、それを第一級の課題として特別視すべきかというと疑問だ。

むしろ現実の問題に対しプログラミングによる解決を目指すといった方向性こそ「食える」もので、それにはまず現実の認識、課題の識別、言語化のステップがあり、これを数理的に扱うことでプログラムに落とし込んでいくという作業が必要になる。つまり土台として死活的に重要なのは国語と算数であり、これらが十分にない状態で行うプログラミングは言ってみれば粘土遊びやブロック遊びと同じ「工作」だと思う。これはこれで一つの「楽しみ」ではあるけれど「思考力育成の一つの方法」とは言い難い。 (例えばルーブ・ゴールドバーグ・マシンもプログラミングと考えることもできるかもしれないけれど、これは楽しみとしての効用はあっても課題の解決といった方向性ではない)

今回の子供たちの成果を否定するつもりは毛頭ないけれど、大人たちの想定しているゴールを考えるとアプローチとして別の手順が必要なのではないかと思った。国語と算数をまずしっかり学び現実から課題を抽出して言語化できるようになることが先決なのではないか。

参考: