通信の最適化について雑感

  • 原則的な話
    • まず第一に、通信の秘密は保障されるべきだから、検閲はあってはならない。
    • 基本的に、通信事業者が利用者の特定のデータを識別してこれを改変するのは検閲につながるからやるべきではない。事業者は利用者のデータをありのままに取り扱うべきである。
    • 必要であれば、事業者は追加のサービスとして「利用者の同意を得た上で」データの非可逆な圧縮を含むサービスを展開すればよい。しかし個人的には利用者がそういった非可逆的な圧縮サービスを「うれしい」と思うとは思えない。「最適化」の語はその点において欺瞞的な印象がある。
  • 「土管」としての話
    • 公共的な事業として、サービスはプリミティブであるべきだと思う。例えば水道について、利用者の大半が蛇口から水を注いだ後に砂糖を入れていることがわかったとしても、水道に最初から砂糖を入れてしまうのは「土管」としてのサービスの範疇を超えているように思う(砂等水を飲めない人もいる)。必要に応じて「蛇口で砂糖を添加する」サービスを別途用意し、必要な利用者のみがこれを利用すべきだ。
    • 土管のメタファは、その中を流れるものをありのままに流すことも示唆できる点で優れていると思う。今後とも土管は土管であるべき。土管を公共空間に埋めて良いのは最大多数への利便を図る公共的な使命を帯びているからであって、電柱も鉄塔も電波も同様である。特定へ利するサービスを基本サービスに等しい位置づけて提供すると公共資源を使って良い大義が成り立たなくなる。
  • 同一性保持の話
    • サーバに置かれたリソースをリクエストしたら、全く同じデータが手に入るというのがインターネットの前提だと理解している。リソースの提供者は受け手に対し、提供した通りに受け取ってもらえることを当然に期待している。最適化の内容が画像を巧妙に劣化させるという実装であるため問題の本質が見えにくいが、極端に言えば小説を配信したらあらすじしか届かないとか、100色で描いた絵を配信しても10色でしか見てもらえないとか、そういったことの「一歩手前」のことが起きているという理解である。ここまで極端だと作ったものと配信されたものが別物になっていることがわかると思う。これが同一性保持権の侵害であって、配信側ではどうすることもできない悪質な事態であると思う。
  • 実務的な話
    • 帯域抑制の観点から、比較的アプリケーションに影響を与えにくいと思われる画像等に対象を絞ってこれを圧縮することで転送量を減らそうという発想は、素朴な発想ではある。だけどそれを通信事業者が行うことの意味をもっと真摯に受け止めるべきだった。単に圧縮できてデータ量が減らせて「効率化!」というのは短絡に過ぎる(ようにしか外部からは見えない)。加えてスマホアプリが自身のリソースをロードした際にデータの同一性を検証して最適化によりこれが失敗する事案があったというのは、通信事業者から見て考慮が足りなかった点だろう。もはや画像といえどナイーブに圧縮して良いというものではないということだ。また画像は「どうせ絵や写真なんだから人が見て困らない範囲で改ざんしても平気だろう」と思われたのだろうが、その画像を機械が入力として使うということも十分考えられる。例えば画像診断とか。音声等についても同じで、データの圧縮技術が人の認識を基準としていたのは事実だとしても、そうしたリソースの受け手は人間だけではないということからも、安易に圧縮すべきではなかったということだろう。やはり土管は土管に徹するべきである。
  • そもそもとして
    • 通信を効率化したいという動機は理解できるが、やりかたは駄目だ。経路の途中に装置を入れて小手先で対応しようというのは局所最適にすぎず、もっとインターネットのための公共インフラを担う大義を掲げて、新しいプロトコルの提案や改善等といった真にイノベーティブな方向へリソースを割いて欲しかったと思うし、今後はそのようにして欲しいと思う。

参考: