SNSでの「議論」で求められる実名とは何か

匿名のSNSは汚い言葉にあふれ、極端な意見が繰り返し主張され、「双方向」の議論が成り立たないというのは本当か。(実名の議場では時々耳にするけれど)

上記の「お答え」として「SNSでの「議論」の成立について」が公開された。

Twitterにおける「匿名」とは

松原さんは「匿名」を次のようにとらえている。

  • Twitterで「双方向」の議論が成り立たないのは匿名のせい
  • 匿名は汚い言葉を使い、極端な意見を繰り返し主張する
  • 匿名は議論を汚く、無責任なものに流す
  • 復興庁の職員が好例 *1

私は匿名を「アカウントが特定できないこと *2」と捉えている。
掲示板の「名無しさん」や「Anonymous Coward」が近い。

仮にTwitterで匿名が実現されるとしたら、不特定多数が自由にログインしてつぶやけるアカウントが登場した場合だと思う。しかしTwitterはそういうものを用意していない。

話を松原さんの匿名に戻すと、期待される「匿名」とは以下のようなものだろう。

  • 汚い言葉をなくすため、責任ある言動が必要だ
  • だからアカウントは実社会の人間を特定可能な形で開設されるべきだ
  • 上記のもっとも分かりやすい形として、アカウントを実名にすべきだ

つまりこういうことだと思う。

  • 発言は常に個人を特定されるべき
  • 不適切な発言に対し、特定した個人に罰が与えられるべき
  • 上記が徹底されればみんな萎縮するから、上品な発言になるはずである
    (上品な発言が増えれば「議論」が成立するはずである)

「実名」にこだわるのは、ネットの「落とし前」を実社会でつけたいからだ。
実名なら発言主の「上司」に対し働きかけることができる。
(実社会ならそうした力を行使できるという前提でもある)

しかしこれらは「議論」に必要なことではないことに注意が必要だ。
例えば私がネット上の誰かと議論するとして、その人と面識がないなら、相手の名前が山田太郎だろうがBobだろうが、議論自体にはまったく関係のないことだ。

実名によって担保したいことは議論の中身ではなく、議論を封じること、あるいは起きた議論を押さえ込むことが主眼になっているように見える。

そもそも「実名でない」アカウントもまた、その名前でコミュニティに属している以上、一定の規範意識の中にある。これはいわゆる匿名とは違った点だ。所属するコミュニティに相応しくない言動を取れば、コミュニティ内で罰を受けることになる。この部分は実名における実社会と何ら変わらない。いわゆる匿名批判はこの部分が抜け落ちていて、匿名ならば何でもできる *3 という前提になっている。


*1 当初は実名(とされる)だった。
*2 厳密には特定可能だとして、特定のコストが高いものも含む。
*3 怪文書をバラまくことや無言電話等ならその通り。
SNSでの「議論」の成立について