『首長パンチ--最年少市長GABBA奮戦記--』を読んだ

『首長パンチ--最年少市長GABBA奮戦記--』*1を読んだ

市長、もともと首長になりたいという気持ちはあったものの、定年過ぎてから立候補するものだと漠然と思っていたところ、無投票だからと担がれて市長選に立候補した(結果として無投票にはならなかった)。

病院問題は市長に当選するまで知らなかった(高槻にいたから)。赤字が膨らんでこのままではまずいとレクを受けても「そもそも市民病院の責任者は誰なんですか」「あんたでしょうが」「あんた、バカじゃなかね」と言われる状況だった。民間移譲に関する説明会で看護師さんから「サンドバッグ状態」にされるなか、看護師さん当人から雇用に関するメッセージがないから問題がこじれていると「口パク」で「こ・よ・う」と指摘されて初めて気づき、その場で雇用を保障すると言うものの、「それなら、どうしてもっと早く、雇用のことを話してくれなかったのですか」と言われてしまう。

市長はうっかりのひと言で沖縄にトバされたり武雄の政治家に「太い」と思われて市長に担がれるきっかけになったり、思ったことを口にすることで人生を回していっている感じがある。

市長の「スピード感」というのは、沖縄にトバされてからの言わば「出たとこ勝負」的なところから出発しているように思う。武雄市長になるのも周囲に担がれてのことで、当人の中では高槻市長になる選択肢もあった(担ぐ動きもあったらしい)。「武雄市を良くしたい」よりも「首長になれたらいいな」が近いのだと思う。とは言え選挙および当選後の活動を通じて武雄の問題点に触れ、これを改善しようとする中で「武雄市を良くしたい」という気持ちは募っていったのだとは思う。しかし出発点は違うのではないか、というのを本を読んで感じた。

市長になる前は高槻市にいて、そこは沖縄から本省に戻された後で自ら志願して行った先。
沖縄にトバされてからの「出たとこ勝負」が性に合っていたということなのだと思う。書類と格闘するのではなく、人と向き合っていたいとのことで、当時人手を求めていた高槻市に行くことになった。

だから高槻市に関する事前知識はなくて、着いてから色々とやることになる。つまり問題意識を出発点とするのではなく、ここでもやはり「出たとこ勝負」。ここでやったことは言わばアイデアマン的なもので、別な本でも触れられているけれど、既存のアイデアと自分の趣味を掛け合わせて新しいことをやっていくというもの。この手法は武雄市長になってからも続いている。

市長のスピードは、理念型の政治家ではないことの裏返しでもあると思う。
大きな理念があってそこに向けてひとつずつ実績を積み上げていくようなタイプではなく、見えている問題を最速で解いていくやり方。だからハコをゼロから作るような大きなことをやるのではなく、既存のものに手を加えたり再定義することで新しさを出していく。この手法で合併前の旧庁舎を「有効活用」したりしている。図書館もその延長にあると考えてよいのかもしれない。

参考:
*1 樋渡啓祐『首長パンチ--最年少市長GABBA奮戦記--』講談社, 2010年